子どもを育てる親、新人教育をする指導者、後輩を世話する先輩。
子どもや新人や後輩が失敗したり、間違ったとき、どうする?
怒る、しかる……どちらにも、強く注意するという意味がある。
「お前は失敗したのだ」と。
失敗した人に伝えることに、どんな意味があるんだろう。
自分が失敗した、と気づいていないなら別だ。
間違っていると、分からせることは大事だからだ。
もし小さい子がおもしろがって、動物を棒でたたいていたら。
分からずにしていたら。
生き物を痛めつけてはいけないのだと、強く注意する必要がある。
たいていのことは、そこまで強く注意する必要はない。
静かに、それがいけないことなのだと説明すればいい。
そして、本人がそれが失敗だと、間違っていると分かっているならば、
強く注意する必要も、そうする意味もない。
小さい子でさえ分かっている。
ものをこわしてしまったとき、親をチラリと見るその表情。
悪いことをしたと分かっている顔だ。
失敗した新人に。
間違ってしまった後輩に。
親として、指導者として、先輩としてすべきは、なぜ失敗してしまったのか、くりかえさないようにするには、どうしたらいいかをいっしょに考えることだ。
ガマンができなかったのなら、どうすればガマンできるようになるか。
どうしてもガマンできないのなら、カギをかけておくなど、物理的にできないようにするのもありだ。
未熟で失敗してしまったのなら、練習をつむしかない。その間はまた失敗することもあると、お互い了解する。
構造的な問題があるならば、失敗しない構造にできないかを考える。
それは親や指導者や先輩の責任だ。
できるかぎり、怒らない、しからないほうがいい。なぜなら。
怒られないように、見ていないところでするようになるから。
怒られないように、ウソをつくようになるから。
怒らないでいるのは、簡単じゃない。
思わずカッとしてしまうこともある。
親も指導者も人間だから。
なぜ間違っているのか説明することも簡単じゃない。
世の中には、理由が良くわからないこともたくさんある。
説明して分かってもらうためには納得できる理由を考えなくてはならない。
怒らず、しからず、静かに、でもハッキリと説明する。
そうして納得して育った子どもや新人や後輩は、自分自身の中に「判断基準」を持っている人になる。
誰が見ていても見ていなくても。
どんなときも、自分自身の心で判断できる人になる。
そういう人がひとりでも増えたらいい。
そういう世の中になったらいい。
このサイトでは、その力になることをしていくつもりです。