投稿者:るりこさん
私は、それはそれは壮絶ないじめを経験しました。
自分のクラスどころか、学校の中を、いくら探しても私を助けてくれる人なんて、いませんでした。
それでも私は不登校を選ぶこともできないほどに、臆病な子供でした。
不登校になれば、親が困ると思ったから。
一時間ごとにある休みの時間は、苦痛でしかなかった。寝たフリをするか、行きたくもないのにトイレへいくか。
まあ、辛かった。
死のうと思った事は1度2度じゃない。
いじめられてるあなたなら、解るでしょう。
そんな日々の中、私は救いを見出した。
それは、本との出会い。
本は色々なことを私に教えてくれた。
いろんな世界を。
それに、本は私を裏切らない。
私に悪口を言わないし、見捨てない。いつも読みたいときには傍にいてくれ、辛くて辛くて耐えられないときに、楽になる言葉をくれることもあった。
本の中ではときどき、一人…「独り」を自ら選んでいる主人公がいて、そんな時はその主人公に心を沿わせて、独りでいられる人間としての心の持ち方を学んだ。
「下妻物語」は読みやすくて、明るくて、「独り」の女の子が出てきて、とてもうれしかった。
本を読むようになって、背筋を伸ばすようになった。堂々と、堂々としていようと。
「私は独りでも平気」なのだと思えたら、必死の思いではあったけど、取り繕うことができた。「もっと高いところの空気を吸うんだ。」「私は君たちのように集団で人をいじめるような、卑しくて下品な人間じゃない」そういう態度を心がけた。もう、それはそれは必死の思いで。
ただ、やがてそれは演技じゃなくなって、本を読み続けた結果の知性として、実際に周りと大きく差をつけることになった。
そうすることで居場所を作った。
本の世界ではなんでも「良し」だった。不登校も良しだった。いじめられていても、それはみじめなことではなかった。不良でもよかった。オカマだろうが変態だろうがおたくだろうが、良しだった。
いろんないろんな、世界の「良し」があって、それは、「あなたが、どんなあなたでも、あなたはあなたで、それはそれだけで本当にすてきで、善しで、許されていること」だった。
それは今の私をも、救ってくれる世界だった。
わたしが、どんな私でも、ブサイクでもいじめられてても、色っぽすぎても、汚くて
も、私は私で在る以上、それだけでいい。
私は私なのだから今より上へ行きたい。
だから努力をしてメイクをして綺麗でいよう
勉強しよう。人に負けない強みをもてば、自信になる。いじめている人らよりすごい何かを持っていれば、彼らより高い場所へ行ける気がしたから。
…本当は、努力をしなくても私は私のままで、美しいし、善しだったけれど。
そう気がついた時には、私はもう努力をしている真っ最中で、美しくなりかけていたし、賢くなっていた^^;
リストカットは絶対にしなかった。
怖くて出来なかった。臆病で臆病で仕方なかったから。
だから死のうと思った時も、練炭とか、痛くなさそうなものばかり選んでいた。
それは今になってとても助かっています。
むやみに傷つけた痕があったならきっと、今私の傍にいる、愛する人は傷ついていたと思うから。
たくさん書けることはあるけれど、長いのでもう止めます。
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(続く>「本という逃げ道2」るり子さんから、いじめられている人へのメッセージ)