いじめサバイバー長野峻也さん(武術家)の体験その2

私のイジメ体験その2「中学校時代~反撃」
長野峻也(しゅんや)

最初は、学校の剣道部に入りました。
本当は柔道がやりたかったんですが、学校には剣道部しかありませんでした。
しかし、一年たらずでやめました。
剣道部のセンパイからイジメを受けて、「これじゃあ、イジメが倍になっただけだ」と思ったからです。
やめたらやめたで、今度は「根性(こんじょう)がない」と、剣道部の顧問(こもん)の先生や担任の先生からいわれて、さらにイジメが加速してしまいました。
九州男児は、どんな困難にもだまってたえる根性がないといけない・・・という風潮(ふうちょう)があったんですけど、イジメのことをしっていたら、いわれなかっただろうな~?と思います。
「剣道なんだから、シナイで打たれて痛いのは当たり前だ!」っていわれても、「違うんですけど、グーパンチでボッコボコに打たれるんですけど」っていえばよかったんでしょうけどね?
しかし、当時、空前のカラテ・ブームがありました。
武術のマンガも人気がありました。
校内暴力で荒れる学校にやってきたヒーローが、中国武術で戦う『男組』というマンガでした。
この時、「中国武術? なんだそれは? ほんとうにそんなのがあるのか?」と思いましたが、書店で『陳家太極拳(ちんかたいきょくけん)入門』という本を見つけて「ほんとうにあるんだ?」と、父親に買ってもらって、みようみまねで練習しました。
「太極拳は空手のような武道とは違って、力ではなく、気とケイの力を使う」という解説に、武術の秘伝をえられれば、あんな不良どもは簡単に倒せるのでは?と思ったのです。
それから、仲(なか)のよい友達に技をかけたり、こっそりと練習するのがストレス解消(かいしょう)になりました。
「この技を身につければ、最強になれる」という希望が、それからのイジメの日々を乗り越えさせてくれた?のかもしれません。
ちなみに、この本の著者(ちょしゃ)の中国武術の先生とは、大人になってから知り合い、先生が亡くなるまでお友達つきあいをさせてもらい、必殺技を教えてもらいました。
いや、でも、中学時代は、そんなきれいごとではありませんでしたよ。
不良れんちゅうに仕返ししてやりたかったのが本音です!
なので、太極拳だけでなく、合気道の本や居合道、空手、ボクシングの本なんかも次々に買って、ひとりでもくもくと練習していたのです。
当時、私は熊本県の天草という離れ島に住んでいたので、通いたくとも武道の道場が近くになかったのですね。
また、仮にあったとしても、剣道部で失敗していたので、ひとりで練習するほうが楽しかったのです。
ですが、中学も三年になると高校受験のじゅんびをしなければならず、不良たちも多少はおとなしくなり、私も勉強に集中しました。
それでも、練習しないとおちつかなくなっていたので、やめることはありませんでしたね。
そうこうしているうちに、中学を卒業し、高校に進学すると、小学生時代のおだやかな生活にもどりました。本当に、うそみたいに平和でした。
高校には、中学時代の不良みたいな人間はいませんでした。
いちおう、天草で一番の進学校だったので、不良はいなくなっていたのですね。
けれども、中学時代のような思いはしたくなかったので、いつ暴力にさらされても跳ね返せるように心身を鍛えておかねばならない・・・と、私はひとり練習をずっと続けていました。
それが、50歳を過ぎるまで、ず~っと続いてきたんですね?
(その3「武術修業の本当の理由」に続く)

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この記事を書いた人

「フリースクールの先生をしてる、マナコだ!
28歳! 独身! 男!
言いたいことはひとつだけだ!
オレの生徒は、死なせない!
なにがあっても! 絶対に!
君ももちろん、オレの大事な生徒だ!」

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